洛陽に遷都する以前の俑は全体としてずんぐりした体型で、それは鮮卑族の典型的な体型であるとも言う。それに比べ、洛陽遷都後の北魏俑は顔が小さく痩身。服装には著しい中国化が見られるが、そこにはこの時期の北魏が推進した漢化政策の一端が示される。前後の型合わせで作り、顔は別作りにして後から挿入する。小型ながらも着物の裾や顔の表情には、単なる型作りには終わらない丁寧さがうかがえる。往時の彩色が見事に残る佳品。
類品は中国古美術収蔵家であったスウェーデン国王が最も愛し 「仲良し俑」と呼ばれたことで知られる。
上下衣裳に分かれたこの衣裳は唐代服装の先駆。顔面の表現は、北魏の仏像彫刻がもっている龍門様式と関係無しとはしないであろう。また北魏俑の写実的な要素は、それ以前の漢代の瓦俑と比較する時、その進展してきていることが強く感じられるし、また次の隋唐代の写実的要素がこのときすでに十分把握され先行されているといえる。型を抜き、千度近く焼き上げ、全体に白土を掛け、その上にベニガラ・朱・肉色などに彩っている。
参照 : CT-028
参照本 : スウェーデン国王所蔵 中国古美術展 |