胡瓶といわれる形式。器台は高く大きく裾広がりとなり、器腹は縦に長い楕円形。頚部で一度細くなるが、頭部は大きな鳥の頭形に作られている。西方ペルシャの青銅製水瓶が原型で中国化される過程で生まれる注口部の変形のうちの一つ。これを鶏首とすることも多いが、本来鳳凰の首部のつもりであろう。嘴に宝珠を銜えているから、含綬鳳凰と呼んでいる中国の伝統的な霊長であることがわかる。鳳首の上のやや大きい筒型が口縁にあたる。
把手の両端に双巻蕨手状になった葉形が飾られている。器体は扁平で、表裏に異なる文様が浅い浮彫りで表わされている。表面は周囲を宝相華様の唐草で囲み、中央に羽翼を広げて立つ鳳凰を表わしている。裏面は同様の唐草に囲まれた中に騎馬の官人が斜め後方の飛鳥を狙って半弓を引き絞っている。本来の中国や我国の騎射は馬の走る方向に矢を射るものだが、西アジアでは後方に向かって矢を射る、これをパルチアンショット・バックショットとかいい、唐代の中国に伝わり流行した。施文は表に中国古来の瑞鳥たる鳳凰を、裏にペルシャ渡りの騎射手法を表わして一器に東西文化の両要素を盛り込んでいる。藍彩の飛ばしが一段と華やかさを増し、盛唐期の工芸の粋を表現している佳品である。汚れなく光り輝く理想美を希求する貴族の美意識は、人間がこの世の中でなしえる「永遠不滅の美」を創造し得たその結晶の一つが唐三彩であったといえよう。盛唐貴族が築き上げたこの栄耀の精粋は数十年にしていともあっけなく瓦解する。安史の乱(755〜763)がその夢を破ってしまった。1904年頃、開封から洛陽までの鉄道建設にともない三彩が大量出土。1912年頃、北京の琉璃廠に突然多くの三彩陶俑が現れ、日本人・欧米人が競って買い始めた。極めて安かった品も中日戦争中期以後には買う事が非常に難しくなったと言う。
参照 : CS-002 、 CS-026 、 CS-041 |