乾瓦窯
左右に広く張った胴の膨らみはいかにもふくよかであり、側面から眺めると全く違った細長い二等辺三角形となる。いわば氷嚢の形であり、家畜類の臓器をそのまま革袋としたかと思われる素朴な形であるが、軟陶の明器に形を替えても尚水を盛った触感が掌に感じられる。胴一面に箆彫の牡丹がフリーハンドで力強く施され北方遊牧民の力強さ。奔放さが表現され、魅力ある品としている。唐三彩の伝統は遼三彩の技法に伝わり、金代に華北の磁州窯に継承され、いわゆる「宋三彩」となる。近年の新発掘によりかつて知られている遼磁以上の優品が出土。鶏冠窯もその一つであり価格も下落し入手し易くなった事は嬉しい。遼代陶磁が学界に始めて紹介されたのは昭和10年のことであって、それまでは文字通り900余年の歳月を地下に埋もれて知る人は無かった。鶏冠窯という言葉も奉天博物館が開館されたその際、黒田博士によって名付けられた遼の陶磁は日本人に深く結びついている。 |