ギリシャの黒陶壺を思わせる形。球形の胴の四面に円形の窪みを付け、把手は胴の曲面からそのまま伸びて菱形の口の左右に取り付いている。口頸部には櫛描き文が施される。さらに把手に2個づつ円形、中央部に一個づつの突円形鍍金を、正面稜線中央部に表裏一個の乳頭形鍍金金具を貼り付け、口内縁部は朱彩を施す。この作品の最上手品で遺品は稀少。この形の黒陶壺は四川省の漢墓からのみ出土し、四川省理番県を基準遺跡とした理番文化の特徴的な黒陶。発掘者によれば、地下2〜3メートルの箱式棺からオルドス青銅器・漢の土器などと伴出するという。卵殻黒陶高足杯とともに中国陶磁愛好家が入手を渇望したのはつい20年余前のこと。理番は成都の北方100Kの地点。理番文化を残した人々が葬法から非中国人であって、生活の基礎は中国の影響を受けて農耕におきながら、中央アジアに繋がる土着の文化を保持し続けた中国辺境民族の一つであったことがわかる。双耳壷の源流は新石器時代の斎家文化にさかのぼる。
1920年頃から盗掘が行われた成都の西北・雑谷江の渓谷は、今回の大地震で壊滅的被害を受けたであろう。
参照 : CK-032
参照本 : 平凡社版 中国の陶磁@ 古代の土器 |