戦国時代玉蝉は漢代玉に比し極めて希少。
黄玉はしばしば湿潤泌化により赤色に変化し喜ばれるが本品も局部美しく紅褐色となり(ここまで美しい色調になる事も珍しい)色調変化が艶やかな玻璃光面と共に、古玉鑑賞の魅力を増している。
写実的な漢時代蝉の前導作品。極めて単純化され、眼の細線と鼻腔の2穴を施すだけがこの時代の決まり。
蝉は露を飲むだけで穀物を食べないと言われ清く高い事と結びつき、文様としては古く商・西周銅器の早い時期に表れている。身体の九穴を玉で塞ぐ風習は前漢中頃から始まり、後漢後期まで行われた。
蝉の事を「一鳴驚人」と言う。「一度やりだすと人をびっくりさせる事をやる」という司馬遷の史記に有る話から「大声で鳴く事で人を驚ろかす」という意も有る。
参照:GK-835、GK-011
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