GK-893 玉象
時代: 商時代(BC16世紀〜1057)  、サイズ: 高さ 9cm×横 11cm×奥行 6cm
価格: \
青玉が湿潤により大部灰濁色化。古代宮廷博物館の収蔵品はまず玉器であり、青銅器であった。
紀元前1千年頃に始まる周の儀礼をまとめた「周礼」には八十人にのぼる役人を擁する玉府という役所の名が見える。玉府は王家の金玉玩好兵器の管理を司る役所で、主として玉を収蔵する所であった。また、同じく三十人の役人が管理する天府の名が見える。天府とは祖廟の祭祀に使用する国家の玉鎮大宝器を収蔵管理する役所であった。これを管理する役職を典瑞という。美なるものは玉府に納め、並みのものは典瑞が収納した。

象は殷代の青銅器などにも表され、その後も龍・鳳凰・虎などの聖獣とともに今日まで長く表現されている。
殷王朝の統治者の間では象牙製品を所持することが 一種の流行になっていたので象牙の需要は大きく、狩猟によつて得られる象牙のほかにも養殖された象から取られた象牙も供給された。

「南史」という南朝時代の歴史を伝えた史書がある。その一節に南朝の梁の末のこととして(552年12月)「淮南に野像数百があって、人の室蘆(家)を壊した。」という記述が見える。淮南と長江に挟まれた地域、すなわち現在の中国の行政区画でいうと長江以北の江蘇省、安徴省などの地域を指すが、この記事はそこに数百の野生の象が生息していたことを伝えている。
象は現在の中国には雲南省、それも南部に僅かな個体数しか生息していない。ところが、この記事からは5世紀中頃のこの地域には少なくとも数百に上る野生の象が存在していたことがうかがえる。この時代の史書には野生の象の存在を伝える記載がこの他にも見受けられるので、その分布はもっと広い範囲に及ぶものであったと考えられる。
もっとも「象」という漢字の字形そのものが象をかたどって作られた文字であることを思えば、中国のずっと古い時代にはさらに広いその分布が見られたであろう。

参照 : GK-730GK-538GK-186








← 玉製品のページへ戻る