腹面には雷文で埋められた中央に臣字眼の象を陽刻。眼には緑松石を嵌め込んでいる。
先史時代に北中国に棲息していた象は、商代になっても揚子江より北にまだ見られた。商王朝の皇帝の一人が象を愛玩していたことも知られ、身近に観察して作られていることがわかる。象は南方から運ばれたと考えられやすいが、気温が今より暖かかったので野生の象がいたが、サイ・バクと共に後の中国から姿を消した。殷の甲骨ト辞にも象を捕えるかどうかと刻まれている。
全体均一に美しく白化。同様風化した殷墟婦好墓出土の石牛の材質を中国では大理石と報告している。大型品であり優品。我国の玉造部のような王室に使える職人能的な氏族集団によって造られたのであろう。銅鹵の銘文によれば象の舞があり、象に踊りの訓練をさせたとある。殷王朝の統治者の間では象牙製品を所持することが一種の流行になっていたので、象牙の需要は大きく狩猟だけでなく養殖もされていた。香港著名玉収蔵家旧蔵品。
参照 : GK-262 |