12片から成る玉帯。四隅に小穴が穿たれており、取り付けられた。唐代、金器・銀器の製作が盛んで玉器は振るわなかったとはいえ、時代の趣を反映した作品。
大唐の全盛期は国力が充実し、西域より渡来の文化も中国の文化に包容された時期で、唐代の玉帯では西域の舞楽が良く題材に取り上げられている。西域の人々は上半身を露わに彩帯を翻し、艶やかに舞い踊っている。本品は珍しく12支を薄肉彫している。
宋代になると役人が身に付ける腰帯は身分によって異なり、玉帯の文様にもそれぞれ意味があって、勝手に借用することは出来なかった。そして明代の皇帝や大臣が用いた玉帯は重さ6〜7キロにもなる重い玉帯で、もはや実用の品ではなく主として身に帯びて地位の高さを誇示するための品となった。白玉が湿潤により白濁・褐色化している。硬質な素材を巧みに加工した高度な技量や生動感のある文様表現などには、唐時代の産物ならではの味わいがある。
十二支の起源はバビロニアにあって、これが伝えられたとされる。
参照 : GK-060 、 DK-249 |