褐色玉で製作された長鼻をあげた象。臣字眼・背には雲文が刻される。剛健な短い足、堂々とした体躯で適確に表現している。
象は先史時代には北中国にも生息しており、商代になっても揚子江より北にまだ見出すことができた。商王朝の皇帝の一人が象を愛玩していたことも知られる。
「南史」という南朝時代の歴史を伝えた史書の一節に、南朝の梁の末のこととして「淮南に野象数百があって人の家を壊した」という記述が見える。淮南とは現在の長江以北の江蘇省。安徽省などの地域を指すが、この記事はそこに数百の野生象が生息していたことを伝えている。5世紀この時代の史書には野性象の存在を伝える記載がこの他にも見受けられ、その分布はもっと広い範囲に及んでいたと考えられ、中国のずっと古い時代にはさらに広い分布が見られたのであろうと推測できる。
1976年殷墟、婦好墓から750数点の玉器が発見されており、一対の本品類似品が出土しているのが知られ風化による局部白泌化。後頭部より腹にかけて貫通する穴が穿たれている。私事ながら25年余前、香港玉専門家訪問の際、収蔵同品は¥350万円といわれ流石に諦めた経緯があり、今回の入手は珠の外嬉しい。同時代、銅器で象尊といわれる酒容器も知られる。極めて珍しい品。
商時代の人々が動物に対して強い愛着を持っていたことは、彼らの墳墓に埋められた種々の動物の数がよく物語っている。
西安玉収蔵家より入手。
参照 : GK-186 |