双龍頭の下に相対する龍が透彫刻された大型のコウ。龍の体面には雲文が施されている。中央頂部に孔があけられており、佩玉の用途。帯に結んだ一連の玉の組合せの飾りで、貴人が佩び、その触れ合い鳴る音を小走りで歩く時の行動の目安としたとする玉佩の風習は、殷時代以降に定着する。単なる装飾具でなく、宗教上の意味や位階に関わっていたことが、佩玉の意匠と出土する墓の規模によって推測できる。大振りのコウであって上層貴族の品としれる。全体、湿潤による風化が本来の白玉を味わい有る茶褐色としている。
戦国時代の玉器においては、研ぎの複合であって、細かな表現は刃物による連続した刻線によっているように見えて、これらは刃物ではない小さな工具を用いた研磨による線であり、透彫りの部分もまた穿孔を主とする研磨が基本となっていることがルーペによってよく確認できる。中国古代の貴族は皆、玉を佩用しており、玉を擬人化して五徳を持つと考えていて「君子比徳如玉」(君子の徳は玉のようである)と言っていた。 |