定窯。
下膨れの胴を六区にわって瓜形につくり、前後に把手をわたしてある。把手は三本の紐が束ねられた形になっており、前方で三つに分かれてそれぞれ花文様のメダリオンと繋がっている。
釉薬が流れた涙痕があちこちに見られる。祖形は金属器であって、この形式の水注の出土例は遼の領域に見られる。
石炭を使用した定窯はクリーム色に色を変え、末の薪を用いた景徳鎮窯は青白色に。ともに白磁ではあるが、温和な定窯白磁と清冽な景徳鎮窯の青白磁とに作風が分かれ、北宋時代にあって南北に対峙したそのモデルはいずれも銀器にあり、そのシャープで軽快な表現は両窯の規範を作っていた。鋭さにおいて勝る景徳鎮窯と潤いにおいて勝る定窯白磁といえるであろう。ともに量産化が進み11世紀後半から12世紀にかけてはだんだんと粗製乱造に傾いていくこととなる。
参照 : CC-102 |