弩の引き金部分。弩とは戦国時代から盛んに使用された引き金式の機械仕掛けの弓で、弩の引き金の機構全体を弩机といいい、楚で発明された。
一般的な弓は威力が腕力に依存し、しかも命中の精度を上げるのにも十分な訓練が必要であるが、弩は小銃の引き金を引くように弓を発射するため、短時間の訓練でも命中精度を上げることができた。このため一般の農民を兵士として大量に戦争に投入する際の武器として重要であった。
弩は通常の弓よりは飛距離は優れているものの、構造上短くして矢羽の少ない矢を使用せざるをえないので敵軍が弩を持っていない場合、自軍が放った矢を敵軍は再利用できないという利点もあった。
上面に銘文が刻まれるのも貴重。「建安元年徐賢造」。建安元年は AD196年。これらの文字は兵器発展史 古代兵器製造管理制度史で古代文字とその移り変わりの研究に貴重な資料を提供している。
弩は政府管理の武器として厳格に管理されており、許可無き保有は罰せられた。その製造・整備は政府 直轄の工房で行われており、その製造には高度な技術が必要だった。つまり弩とは中央政府の強固な意志によって作られ維持される高度な技術製品だった。始皇帝陵の兵馬俑坑からは保存状態の良いものがいくつも出土した。大英博物館蔵 顧がい之の「女史箴図」には弩を撃つ男の絵が描かれている。
古代中国における青銅器類は精神性が非常に高い美術品であり、金石類と呼ばれる。古代の金属器や玉器はその精神性の高さ故に、数ある鑑賞美術の中でも最も位が高いとされている。
参照本:始皇帝と彩色兵馬俑民 ー 司馬遷「史記」の世界 、商周青銅兵器
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