DK-550 青銅蟠龍文鐘
時代: 戦国早期 、サイズ:高さ 41cm×横 18cm×奥行 14.5cm
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殷代以来の楽器は、室内での奏楽よりもむしろ戦闘に使われ、太鼓で軍の士気を鼓舞し、その楽器の違いで進退・行動の合図とするものであった。しかし春秋期頃から宋廟の礼楽を奏する楽器も重要視され、大墓には必ず大小で音階を揃えた一組の編鐘・編磬という楽器群が随葬されるようになる。
円筒形の吊手が付く形式を甬鐘と呼ぶ。青銅の鉤で鐘架に固定した。鐘類は木槌で叩き、正面と側面と叩く場所を変えて音階異なる2音を出すことが出来た。各部位には浮彫り状の蟠龍文が飾られている。中央部鉦間、下部鼓の左右下に銘文がある。
戦国早期の墓曽候乙墓から出土した64点の編鐘のうちで最も大きく、鐘架の保存も完全で、今でも楽曲を演奏することができ、音律は正確。このような打楽器は西周の中期頃から現れ始め、俄かにその数も増えてくるが、それはいわゆる「礼楽」がこの頃からいよいよ整備し始めたことを示すもの。
日本における最古の中国文物である銅鐸は中国の楽器と違い、宝物として保存された。形式も文様も随分違うから銅鐸は二本に入ってから日本流に変化したと考えられる。しかし、とにかく戦国時代前3世紀には中国文物は日本にまで波及していたと知られるわけで、いつの時代も物資文明の伝播は早い。

参照本 : 中国美術全集D 青銅器U P1P2








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