DK-402 青銅虎符
時代:漢時代 、サイズ:高さ 4cm×横 10cm×奥行 1.5cm
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符、すなわち割り符は二つに割って分有し、必要時に合わせて二者の信用を確認する為のもの。漢時代には竹使符と銅虎符とがあった。朝廷と各郡とで分け持ち、軍を動かすときには朝廷から虎符の片側を携えて使者が発つ。郡に至って二符が合致すればはじめて兵を発した。虎の背には所属の郡名を刻み、これが左右に分かれる。一方の内側にはほぞ、他方の内側にはほぞと合致するほぞ穴が設けられており、左右の文字とこのほぞの合致によって信が確かめられた。「符合」という言葉の由来である。戦国時代実施された兵符制度は、秦が中国を統一した後もそのまま用いられた。
銘文は「甲兵之符右」 「在君左在杜」。「杜」は地名で咸陽の西北約100kmにある「杜陽」(現在の麟游付近)。
北京国家博物館には陽陵虎符といわれる秦始皇帝が全国を統一した後に、陽陵駐守将領の兵符としたものがる。二つが合って、はじめて地方官は兵を出すことができた。
隋代になると虎の形は立った姿に変わった。唐代では高祖李淵の祖父李虎の名を避けて銅獣符と呼ばれる。

参照 : DK-264
参照本 : 秦の始皇帝とその時代展










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