長い矛と鎌形の刃をつけた異形武器。矛部は2方向にも刃が出る。基部は勾雲文、鎌部には前後5文字の銘文がある。銘の文字は当時の美術的書体で篆書とは異なる字体で、奇字の一種。差込口は円形状。類品を見ない。
中国の戦法は古来馬車戦であり、一両に戦士と介添えの兵士と御者の3人が乗り、戦士は長柄の戟や戈を振り回し、敵戦士の首を刎ね鎧甲の札の糸を切り刺して戦った。細い木を芯に、細かく割った竹を20本近く巻きつけ糸で全体を巻締め、上から朱漆や黒漆を装飾的に塗り別け、補強している。戟の長いものは、4cm〜17cmを超える戈よりも長い柄をつけ、こう兵(かぎ状の兵器)と刺兵の働きを兼ねさせた。漢代以降は鉄製の戟が主流となり、唐代まで使われた。乾隆帝の皇子たちとの団欒図を見ると、皇帝の傍らで皇嗣が戟を持つのが見られ、後代には威信用になったと知れる。異形武器は周人が北方少数民族の武器の特徴を吸収して作ったもので、形は中原で一般的に使われる武器と大変異なる。
参照 : DK-221 |