剣は春秋戦国において車上・馬上で自分の身を守るために使用され急速に発達した。中国の戦法は古来馬車戦であり、戈や戟を操り戦うものであったが、北方の匈奴など遊牧騎馬民族との接触は騎馬戦法をもたらし、接近戦に際して剣が普及する。
国宝永青文庫蔵、、青銅金銀錯狩猟文鏡、背文様には剣を握る騎士が描写されている。莖と言われる剣柄に糸を巻いて太くし、掌にしっかり収まるようにし、木柄に挿入して使用した。両刃の中央は従といわれ、別地金の質の相違する銅が鋳継がれている。
格は鬼面文、莖の突出円形部2個には雲文、首の凹部には菱形文が囲む中央に獣面文が陽刻される。従部の他は全体美しい灰青色に変化し(参照DK-096)従部の銅色との対比が美しい。
鋒部は錫の含有量を少なくし、刃部は多くして堅強で鋭利としているのがこの時代の剣の特徴。殺傷武器でありながら高い装飾性を持ち、鞘から抜いた時の保持者の心映えが想像できる。又武器は死者を鎮魂する道具でもあり、死者と共に埋葬された。有名な越王匈践剣も同形式。青銅剣も漢代に鉄剣が流行するや次第に姿を消していった。
参照 : DK-207 、 DK-072 |